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創   業
仙北新報[創刊号]明治27(1894)年、榊田繁治が東京より新式の活字と手廻し印刷機購入し榊田活版所とし印刷業を創めました。同年、大曲米穀取引所が開設され「秋田民報」の前身である「大曲商報」が藤田金治を主筆とし、商業(主に米穀取引)に関する情報紙として創刊されました。

その後、小西平州(伝助)や赤川菊村、田口謙蔵(松圃)の協力により商業だけでなく様々な地域の情報や文化的な話題を提供していく総合紙として内容を充実させ、明治41(1908)年2月20日「仙北新報」という名で第1号を発行(小西伝助・赤川菊村・藤田金治編集)。当時は毎月1回20日に発行されていました。

資料:仙北新報[創刊号]
全国花火競技大会の開催
第1回奥羽六県煙火共進会パンフレット明治43(1910)年には諏訪神の祭典で打ち上げられていた花火を、「仙北新報」主催で商業発展(集客・接待)のための競技大会として「第1回奥羽六県煙火共進会」として開催しました。(第4回から全国煙火大競技会。第19回まで仙北新報社が主催、以後競技会は主催を変えて現在の「全国花火競技大会」となっています。)

資料:第1回奥羽六県煙火共進会パンフレット
沿   革
 大正7(1918)年 小西伝助のあとを受け田口謙蔵(松圃)が仙北新報社の社長となる。
 大正9(1920)年 榊田活版所から組織を変更し株式会社 仙北印刷所と改称。
 大正15(1926)年2月 株式会社 仙北新報社 登記。
 昭和5年(1930)年 印刷・新聞業務の中心となっていた佐藤欣一郎が株式会社仙北新報社、株式会社 仙北印刷所を受継ぎました。
 休    刊 第二次世界大戦下の昭和15年前後から日本各地で中小の新聞の統合が行われ、各地の警察などが仲介に入り、半ば強権的に進められ、昭和十七年に新聞事業令が施行されると、新聞統合はさらに進められ、東京などの大都市圏を除き、一つの県に一つの新聞のみを存続させるといういわゆる一県一紙体制となりました。この一県一紙体制により「仙北新報」も一時休刊となりました。
 昭和20(1945)年11月 秋田民報[創刊号]戦後すぐに「仙北新報」は「秋田民報」と改題して復刊。県内新聞では戦後の「第一号」でした。

昭和20年11月4日 秋田民報社 登記(佐藤欣一郎社長)「秋田民報」第一号創刊。「秋田民報」としたのは、より広域な展開を目指してです。

資料:秋田民報[創刊号]
 昭和22(1947)年 大洪水により社屋が浸水しました(印刷材料・資料の遺失)。
 昭和37(1962)年 オフセット印刷に移行。
 平成16(2004)年7月 完全デジタル化。
 平成17(2005)年10月 一万号を発行し、同年10月1日ホームページを開設しました。
 
秋田民報社  所在地:秋田県大仙市大曲栄町10-22 TEL:0187-63-2122




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